何も取り繕わないで弾き語れるひとへの憧れってのはわりと強い方。
それは後ろに透けてみえる積み重ねた時間への敬意ってのがあるんです。こういうので憧れて眺める動画ってのは結構あって、こういう研鑽された『自己の何かを表現する』感と、世に氾濫する『承認欲求モンスターの醜悪な垂れ流し』との差異を感慨深く眺めるものであります。
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いや、そういうのも含めてちょっと前に書いた『わたし絶対音感』の質問は承認欲求モンスターのする何かなんだけど、する側からすればいい質問だよね。褒められてなおかつ被害者気取ってマウント取れるんだもん。ちゃんとしたひとは絶対しない質問なんだろうから、自分からそれを主張する人間はもうアレなひとって印象しかない。
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最近ちょっと出すようになっている『過去のすごく嫌なこと』は色々枷になっていて、もうどうしようもないのだけれども、そこはそれとしてとりあえずなんか出す方向にしないとだめだな、ってこういうのを見るたびに思う。
何を見てどうするかと意識することにあまり意味はないというか、自分のやりたいことだけやるようにすべき。この辺りは結構前に結論が出てる。
情報の供給過多というか、趣味嗜好が細分化されてる以上は、正解(売れ線)を求めるよりは自分の好きなことをするべき、っていうかんじのアレで、そうしないと食事とソシャゲと家電くらいでしか楽しみが無くなってしまう。
家電! KADENの話したい! レンジを買い替えまして! ヘルシオに買い替えまして!!
落ち着け。
うーん、例によってちょっと酔ってるからこういう流れになってる。わりと普段から大雑把に考えていることをこうやって酔った流れで雑にまとめるのはどうかと思いますよ。そうでもないと出ない・いつものことなんだけど。